ハヤテのごとく!で『行動論』

最近ハヤテ界隈でにわかに『構造論』に関する議論が盛り上がっている感がありますが、この辺りの内容はかなり難しくて私には参加できそうもありません。tanabeebanatさんの唱えるスーパーハイブリッド構造も、「なんとなくわかる、ような気がする」くらいですし・・・。


んじゃ自分に何ができるか、というか今まで何をしてきたか、というと、たぶん

『行動論』

これだけ。


あるシーンにおけるキャラクター・組織の行動の深意をさぐる。かなりローカルな考察だが、キャラクター全体の考えやその時の周囲との関係を正確に読みとる必要がある。

とあるブログの舞台裏 ハヤテのごとく!考察の考察その2 ハヤテのごとく!の考察にはどんな種類があるか?


この辺りをやってきた記憶はあります。ただまあ、ほとんど妄想ですが・・・というか、推測することそれ自体が目的であり、また作中で答えが明らかにされることもあまりないので、結果どうしても妄想になってしまうというか。


思うに、このタイプの考察を行うには「作者への信頼」が必要不可欠だと思うんですよ。
「あるシーンにおけるキャラクターの行動の深意」を探るには、そのキャラクターの性格や思考回路をある程度把握している必要があります。そしてそのためには、その前後のそのキャラクターの言動やモノローグから、彼or彼女の性格に一貫した何かを感じ取る必要があります。


たとえば、私は以前ハヤテのごとく! 『暫定最終回・その2』の怪という記事を書きましたが、これも

  • 伊澄は心の優しい子
  • 伊澄にとって一番大切な人はナギ
  • 伊澄はナギがハヤテを好きだと知っていた

という前提のもとに書いたもの。これらが真実でないとしたら、そもそも成り立つはずもない話です。


「作者への信頼」が必要だと言ったのはつまりそういうことで、「作者はこのキャラクターをこういう風な性格の子として描いているに違いない」という風に信用することができるか・・・言い換えれば、作品中のそのキャラクターの言動から「このキャラクターであればきっとこう考えるはず」という推測が可能か、ということです。


なので逆に、ギャグ漫画など、キャラクターが支離滅裂な言動ばかりする漫画で行動論を展開するのは困難だと思われます。


だからこそ、現在ハヤテのごとく!がギャグ漫画寄りなのが嬉しくないというか。
あるシーンでとあるキャラクターが明らかにキャラにそぐわない行動をしていても、その理由が“ただのギャグ(もしくはパロディ)”だったりしたら…とか思うと考えるのが馬鹿らしくなってくるわけです。
『シリアスとギャグが混在する漫画』が原理的に抱えている問題だとも言えます。


・・・とまあ、私が考える『行動論』はこんな感じですが、なんか間違ってたらすいません。